こんにちは。高卒支援会新宿教室生徒の川原です。
今回は以前行った花園神社フィールドワーク、「なぜ新宿は栄えたのか」についての結果報告をします。
新宿は昔、内藤新宿という甲州街道沿いに作られた宿場町で、花園神社はそこの守り神として祀られていました。
そして同時に文化の発信地としてたくさんの踊子がやってきたり、明治時代には前回のブログで紹介した酉の市も開かれ内藤新宿の賑わいに貢献していました。
しかしこの時までは新宿はあまり重要な都市ではありませんでした。
明治後期に関東大震災が起こると浅草や銀座などからたくさんの避難者が新宿に駆け込んできました。(新宿は他の土地と比べ地盤が強かったため被害が少なかった。)このことから新宿の人口が急激に増加してそれに伴って鉄道などが多く開かれるようになり、同時に闇市などが多く立ち並びました。
昭和頃になると闇市は姿を消し、新宿駅を中心にした商店街は戦前にも増して活気に溢れるようになり現在みられるような新宿の商業地の風景が作られました。1952年には日本一乗り換えの多い駅になりました。さらに歌舞伎町の建設に伴って映画館なども多く立ち並びサブカルチャーの発信地としての地位を確立し若者たちの交流の場になりました。
そして平成になると地下鉄駅がさらに発展し1996年には東京メトロ丸の内線に西新宿駅が誕生。2000年には都営地下鉄大江戸線が開通し新宿内では都庁駅前、新宿西口駅、東新宿駅が設置され都庁前駅を起点に都内をほぼ環状に走る地下鉄網が完成しました。
こうして現在の新宿は多種多様な人と文化が集まり新たな経済と文化を創り出す日本有数の巨大繁華街として発展していきました。
今回のフィールドワークを通して新宿の歴史を学びましたが、意外と知らないことが多くて普段ならあえて調べないようなことをたくさん知ることができたのでいい体験になりました。